「ことばのポトラックvol.1」 絶賛発売中!

2011年3月11日に起きた東日本大震災から16日後の3月27日、大竹昭子の呼びかけで、サラヴァ東京(東京/渋谷)にてスタートしたことばを持ち寄るこころみ。第一回目には13人の詩人と作家たちが参加して感動的な会になりました。( potluck = 「持ち寄る」)

2019年3月21日木曜日

赤城修司さんをお迎えした第16回「ことばのポトラック」のご報告です。

はじめて福島からお迎えした第16回のゲストは、大震災以来、身のまわりを撮影しつづけてきた赤城修司さんです。まず昨年の「ことばのポトラック」のダイジェスト映像(撮影・編集 磯崎未菜)を上映、志賀理江子さんが2時間ノンストップで語ったあの日の熱気を思い起こし、この一年遠ざかっていた大震災の記憶をそれぞれのうちによみがえらさせたところで、赤城さんにご登壇いただきました。

右から赤城修司さん、堀江敏幸さん、大竹昭子。

赤城さんは福島市内の高校で美術教師を務めていますが、震災の翌日から周囲の様子をカメラに収めはじめ、いまもつづけています。これまで50回近く講演してこられましたが、今回のトークのために彼は「がんばろう!福島」というスローガンを撮った写真をセレクトしました。それを見せながら語った彼の言葉からは、街のいたるところに、「がんばろう!」があふれていた異様さが伝わってきました。

原発事故が起きたとき、赤城さんがまず思ったのは子どもたちを安全な場所に逃がそうということでした。密かにポスターも自作しますが、公の立場からそのような発言は出てこず、がんばることだけが叫ばれました。がんばるにはこの地に留まることが必然であり、まるで戦時中の一億玉砕のようだったといいます。

前半は、赤城さんの写真をスライドで見ながらトークを聞く。

赤城さんは著書『Fukushima Traces 2011-2013』(オシリス)のなかでこのように書いています。震災後の3日間、人々は肩書き、年齢といったものにとらわれず、目の前の人を助けるために自ら動いていた。「立場」でものを言う人はいなかった。でも、組織が動きだすとそれが一変し、みなが組織の判断を仰ぎ、自分で考えたことより上からの指示を優先するようになり、さまざまなことがちぐはぐになった……。

教育現場にいる赤城さんは学校でも日々それを感じています。映された動画のひとつには生徒が「起立、礼、着席」の号令のもとに行動するシーンがあり、学校から遠ざかっている私にはどこか別の国の光景のように思えたものです。このように、生徒にものを考えさせまいとする教育が進行していることと、「がんばろう福島」が連呼されることが無縁であるはずはありません。

赤城さんのスライドより。

そもそも今回赤城さんが「がんばろう福島」に絞って語ることにしたのは、2月に出版された安東量子さんの『海を撃つ』(みすず書房)を赤城さんが読まれているなら、トークでご感想を伺えないだろうか、と私が事前にメールで投げかけたのがきっかけでした。
安東さんの著書について簡単に触れておくと、彼女は震災後、福島に留まりたい人のために「エートス福島」という活動を立ち上げ、放射線量についての知識の獲得や測定作業をはじめます。『海を撃つ』には、人と一緒に行動をするのが苦手だった彼女が、止むに止まれずこの活動をはじめた経緯、その途上で感じ考えたことなどが時間を追って語られていきます。私はこれをひとりの女性の行動の軌跡として興味深く読み、また文章が内省的であることにも好感をもち、トークで取り上げたいと思ったのでした。

赤城さんは安東さんの活動を知っていましたが、留まることが前提の内容に当時は反発を抱いたと言います。社会全体がひとつの方向に流れていく危険を感じていた彼にとって、それを助長する動きに思えたのは当然でしょう。「あの活動に救われたという人がいること、職業上、逃げたくても逃げられない人がいることは、いま振り返ってみればわかるけれど、あのときはこの事故に対して自分はどういう態度をとるべきか、それだけを考えました。留まることは過ちを犯した政治に一票を投じることになる、そう思ったのです」。

起きてしまったことを受け入れ、何ができるかを考えようとした安東さん。「逃げる」ことが事故への責任のとり方だと考えた赤城さん。どちらも自分自身に真剣に問うたがゆえの判断ですが、政治に都合のいい方が拡大し、流れが一方向に決まっていったことに赤城さんは敏感に反応したのでした。

赤城さんは社会を疑い、群れることを嫌いますが、自分を疑うことも忘れてはいません。聴衆の前に立つと、自分があたかも「正しい」ことを語っているような雰囲気になり、美談のように受け止められるのには違和感がある、本当は自分の言ったことに反論する人がでてくるべきなのだ、という彼の言葉から学ぶべきことは多いと思いました。

同じく教育の現場に関わる堀江さんからも「ナマの声」が。

「ことばのポトラック」はロジックを突き詰める場ではなく、言葉にしにくいもどかい思いや、自分のことばを見つけようとする姿をみんなの前にさらす場なのではないか、また観客が求めているのも答えや結論ではなく、書きことばでは伝わりにくいナマの声が放つエネルギーなのではないか、改めてそう感じられたとても緊張感のある時間でした。

いつもはわたしがインタビュアーになり、堀江さんは少し引いた視点でそれをまとめるという役回りでしたが、今回は堀江さんが身を乗り出して発言されていたのが印象的でした。教育現場に関わっているおふたりが、個の立場でしか仕事をしてこなかった私のような者にはわからない、教育の危機を感じておられるのを実感いたしました。(大竹昭子)

最後に記念写真を

写真提供:稲木紫織さん

2019年 「本のポトラック」と寄付金のご報告

毎回、出演者の推薦する本を出版社から献本いただき、割引価格で販売する「本のポトラック」をトーク終了後に行います。
推薦者が口上を述べて観客の面前で売る方式にしてから人気が上昇し、今回も多くの方が会場に残られ、熱気ある「叩き売り」になりました。お一人が2、3冊買ってくださり、1冊に複数の手があがることもあり(そのときはその場でジャンケンをします!)完売いたしました! 本が売れないと言われているいま、買い手につぎつぎと本が届いていくさまが目前で見られてうれしくなりました。


今回はこの売上金から諸経費を引いたものを、福島で放射線防護のための知識普及につとめている「ふくしま30年プロジェクト」にお贈りいたしました。
https://fukushima-30year-project.org/

献本にご協力いただいた出版社を挙げさせていただきます。以下の15社です。心より感謝申し上げます。
新潮社、朝日出版社、晶文社、みすず書房、中央公論新社、講談社、筑摩書房、岩波書店、青幻舎、亜紀書房、創元社、港の人、赤々舎、白水社、産業編集センター

また販売には、黒田玲子さん、棚橋万貴さん、柏崎春奈さん、小林英治さんにご協力いただきました。
ありがとうございました。

2019年「本のポトラック」推薦図書リスト

推薦図書のリストを欲しいという声をいただきましたので、ご紹介した順に書名をあげておきます。

『海を撃つ』安東量子著(みすず書房) 
『チェルノブイリ 家族の帰る場所』  サンチェス文、 ブストス (朝日出版社) 
『あわいゆくころ』 瀬尾夏美 著(晶文社   
『濃霧の中の方向感覚』 鷲田清一 著(晶文社)   
『災害ユートピア』レベッカ・ソルニット (亜紀書房)
『新版・夜と霧』 YE・フランクル(みすず書房)  
『献灯使』多和田葉子 ((講談社文庫)
『ファミリー・ライフ』アキール・シャルマ著、小野正嗣訳(新潮社クレストブックス)
『波』ソナーリ・デラニヤガラ著、佐藤澄子訳(新潮社クレストブックス)
『インヴィジブル』ポール・オースター著、柴田元幸訳(新潮社)
『帰れない山』パオロ・コニェッティ著、関口英子訳(新潮社クレストブックス)
『出来事と写真』 畠山直哉大竹昭子 (赤々舎) 
『本をつくる 赤々社の12年』姫野希美ほか(産業編集センター)
世間のひと鬼海弘雄著(ちくま文庫)   
『ナニカトナニカ』大竹伸朗著 (新潮社)         
『ホンマタカシの換骨奪胎』ホンマタカシ著( 新潮社)
『風景論 変貌する地球と日本の記憶』港千尋 著(中央公論新社)
『断片的なものの社会学』岸政彦著(朝日出版社)
『神様の住所』九螺ささら著(朝日出版社)
『定本 北條民雄全集 上・下』北條民雄著(創元文庫)  
『言葉の小蔭 詩から、詩へ』宇佐見英治著 (港の人)
『ブルーシート』 飴屋法水著 (白水社)
『私の体がワイセツ?!』ろくでなし子 著(筑摩書房)
『あとがき』片岡義男著( 晶文社)
『石原吉郎詩文集』石原吉郎 著(講談社文芸文庫)
『原民喜全詩集』原民喜著(岩波文庫) 
『まど・みちお詩集』まど・みちお著(岩波文庫)
『富士』武田泰淳著(中公文庫) 
『ひどい目』レ・ロマネスク著(青幻舎)  
The Absence of Two』吉田亮一 著(青幻舎)

上記のほかに志賀さんから『志賀理江子写真展カタログ』を、堀江さんからはご著書『傍らにいた人』『オールドレンズの神のもとで』『坂を見あげて』『曇天記』を(いずれも銀ペンサイン入り,パラフィン掛けで!)ご提供いただき、私からは『須賀敦子の旅路』『ことばのポトラック』『あの画家に会いたい個人美術館』『この写真がすごい2』を献本いたしました(大竹)