「ことばのポトラックvol.1」 絶賛発売中!

2011年3月11日に起きた東日本大震災から16日後の3月27日、大竹昭子の呼びかけで、サラヴァ東京(東京/渋谷)にてスタートしたことばを持ち寄るこころみ。第一回目には13人の詩人と作家たちが参加して感動的な会になりました。( potluck = 「持ち寄る」)

2014年9月25日木曜日

詩人の文月悠光さんが書かれた稲葉真弓さんの追悼の言葉をご紹介いたします。稲葉さんの『連作・志摩 ひかりへの旅』の書評として寄稿したものです。



女詩会出演者の最年長は稲葉さん、最年少は文月さんでした。文月さんは緊張して打ち合せに来られたそうです。それはそうです。あのときはまだ大学生だったんですからまた出演者のひとり唐作圭子さんは妊娠中で大きなお腹をしていました。しかも、お腹のなかにいたのは女の子。そのことで打ち合せのときに大いに盛り上がり、いまの時代に女と銘打ってイベントをするのは陳腐かも、と言いながらも終始、前向きなエネルギーに包まれていたのを憶えています。「ポトラック」でなければあり得ない試みだったでしょう。大震災をきっかけに、私たちの足場をもっとしっかりしたものにしなければ、という思いで心がひとつになったのです。打ち合わせの場に稲葉さんはユーハイムのバウムクーヘンをもってきてくれ、みんなでそれを食べながら、タイトル何にする?なんて話し合ったのでした。(2014.9.24 大竹昭子)

2014年9月18日木曜日

大竹昭子さんによる稲葉真弓さんの追悼文


「西日本新聞」(2014年9月17日付)に大竹昭子さんによる稲葉真弓さんの追悼文が掲載されました。稲葉さんが出演された「ことばのポトラック<女詩会>」の様子にも触れています。

忘れられないあの声
大竹昭子

 はじめて稲葉真弓さんにお会いしたのは八十年代初め、忘れもしない新宿のゴールデン街でのことだった。「深夜+ワン」というミステリー作家が来る店の奥に、稲葉さんは編集者や作家に囲まれて座っていた。
 肩まで届くロングヘアーに白いドレス。ペンよりはマイクを握って歌う姿が似合いそうな雰囲気だった。それは彼女の声のせいもあったかもしれない。短く切りそろえた前髪の下あたりから流れ出る低い声が、個性派の歌手を思わせた。
 十代から文学の世界に身を浸してきた稲葉さんとちがい、長いこと何処ともつかない世界をふらふらしていた私の周囲に、小説や詩を書く人はいなかった。稲葉さんは私がナマの姿に接した最初の小説家だった。お姿が深く印象に刻まれたのは、そのせいもあったのだろう。
 その夜は遅くなり、タクシーに同乗して帰宅したが、驚くことに稲葉さんの家は私の実家の目と鼻の先にあった。木立のなかの一軒家で、遊びにいくと作品に漂う仄暗い気配がその家の佇まいと重なり、虚構と現実の見分けがつかなくなった。
 やがて私は実家を離れ、稲葉さんも都心に引っ越され、活躍のご様子を遠くに仰ぎ見るだけの関係になったが、それが変化したのは大震災のときである。恐怖と悲しみに声も出ないような状態になったとき、まずはことばを発することが大切だと思い、知り合いの詩人や作家に声をかけて「ことばのポトラック」という朗読イベントをおこなった。震災からまだ二週足らずの初回のこのとき、稲葉さんは名古屋の実家にいて出演は叶わなかったが、半年後に女性の詩人だけでおこなった舞台に出ていただいた。
 「女詩会」と名付けたこの回は、私が稲葉さんと仕事を通して関わった最初で最後の機会となった。思い出すのは出演者六名とおこなった打ち合わせの場だ。稲葉さんはいつも分銅のような働きをしてくれ、彼女の声が響くと、部活のノリに傾きそうになる気分がきゅっと引き締まるのがわかった。
 「ポトラック」の後、誘ってくれてありがとうというメールが稲葉さんから届いた。お礼を言うべきなのはこちらだったが、詩を書くきっかけを与えられたことを彼女は喜んでくれたのだった。詩は自分にとって特別なもので簡単には書けないけど、死ぬまでにあと一冊詩集を出せたら、とも書かれていた。
 その思いは、今年三月、『ひかりへの旅』を上梓して果たされる。三分の二近くが書き下ろしの詩で、なかなか書けないと言いつつも、書きつづける努力を重ねていたことに感銘した。
 稲葉さんの訃報に接して、あの「女詩会」の朗読シーンが脳裏に浮かんできた。全編を撮ってくれた映像作家の大川景子さんに連絡し、稲葉さんの出演部分を編集して短い映像をつくってもらった。「稲葉真弓さんを偲んで」という題でYouTubeで見ることができる。低いトーンで淡々と読み上げられる言葉の数々が、いま心の洞窟に響きわたっている。
                        

2014年9月11日木曜日

稲葉真弓さんを偲んで

小説家で詩人の稲葉真弓さんが8月30日に他界されました。稲葉さんとはニューヨークから帰って間もない80年代初めに知り合っておつきあいがはじまり、2011年には「ことばのポトラックvol.4」<女詩会>」にも出演していただきました。2年前に癌の告知をうけ、闘病しながら執筆活動なさっていたそうです。
彼女のことを想うとき、まず浮かんでくるのがあの印象的な声。よく響く低い声に暖かな力がこもり、忘れがたいです。「ポトラック<女詩会>」の映像から稲葉真弓さんが出演している部分を編集して「稲葉真弓さんを偲んで」という短い映像を作りました。ポトラックの記録をしてくれている大川景子さんの作です。魅力ある声で読み上げられる2篇の詩をお聞きください。(2014.9.10 大竹昭子)


2014年4月18日金曜日

「本のポトラック」(2014/4/13)に、
出版社から本をご提供いただきました。


以下の出版社から出演者の著作を販売する「本のポトラック」に本をご提供いただきました。ここに深く感謝申し上げます。本の売上金80.900円と入場収入を合わせた120.090円を、次回に震災復興関連の活動に寄贈いたします。

青土社/『花火の家の入口で』『燃えあがる映画小屋』吉増剛造
思潮社/『The Other Voice』『生涯は夢の半径』吉増剛造
河出書房新社/『想像ラジオ』いとうせいこう『Back2Back』いとうせいこう& 佐々木中
講談社/『燃焼のための習作』堀江敏幸『存在しない小説』いとうせいこう
中央公論新社/『戸惑う窓』堀江敏幸
集英社/『なずな』堀江敏幸
平凡社/『石の遊び』華雪『彼らが写真を手にした切実さを』大竹昭子
赤々舎/『書の棲処』華雪
ECRIT/『木の戦い』華雪&タリエシン
洋泉社/『日和下駄とスニーカー』大竹昭子
ニーハイメディア/『Paper Sky』 (いとうせいこう&大竹昭子の連載)
新潮社/『個人美術館』大竹昭子『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』ネイサン・イングランダー
岩波書店/『東北を聴く』佐々木幹郎 

2014年4月13日(日)ことばのポトラック vol.11
声と、ことばと、文字と  を終えて


ご参加いただいたみなさま、どうもありがとうございました。

★ 大竹昭子さんのレポートはこちらから。

★ 寄付金のご報告はこちらをご覧ください。
福島の「pray life」と女川町の「おちゃっこクラブ」に贈呈しました。

2014年2月26日水曜日

2014年4月13日(日)ことばのポトラック vol.11
声と、ことばと、文字と


第11回ことばのポトラックは「声と、ことばと、文字と」というテーマでおこないます。ことばの歴史を考えると、最初の衝動として声を発することがあったはずです。声でお互いをたしかめあう気持ちからことばが生まれ、それが伝達と保存が可能な文字をつくる努力へと発展しました。今回のポトラックでは、そのような背景をもつことばに、5人の出演者がそれぞれの手法で光を当てていきます。(企画・進行 堀江敏幸 大竹昭子)


出 演

吉増剛造(詩人)

いとうせいこう(作家)

華雪(書家)

堀江敏幸(作家)

大竹昭子(作家)


日時 2014年4月13日(日)

料金 2,000 円  (お茶付)

会場 サラヴァ東京

東京都渋谷区松濤1-29-1 クロスロードビルB1


12 : 00 開場

12 : 30 映像ドキュメント上映

    「ことばのポトラックvol.10  Get Back to The TV!」(2013/6/9)

     撮影・構成 大川景子

13 : 00 本編スタート



◉ 2014年3月20日(木)より サラヴァ東京にて予約受付開始

web サラヴァ東京 予約フォーム(右上黄色いボタン) 0:00 〜
または

電話 03-6427-8886 14:00 〜


◉「ことばのポトラック」は2011年3月に起きた東日本大震災の16日後に大竹昭子の呼びかけではじまったイベントです。入場料の一部と、当日開設する [本のポトラック] の売り上げ全額を復興関連の活動に寄付いたします。[本のポトラック] とは版元から提供いただいた出演者の著作を割引価格で販売するものです。