「ことばのポトラックvol.1」 絶賛発売中!

2011年3月11日に起きた東日本大震災から16日後の3月27日、大竹昭子の呼びかけで、サラヴァ東京(東京/渋谷)にてスタートしたことばを持ち寄るこころみ。第一回目には13人の詩人と作家たちが参加して感動的な会になりました。( potluck = 「持ち寄る」)

2014年9月18日木曜日

大竹昭子さんによる稲葉真弓さんの追悼文


「西日本新聞」(2014年9月17日付)に大竹昭子さんによる稲葉真弓さんの追悼文が掲載されました。稲葉さんが出演された「ことばのポトラック<女詩会>」の様子にも触れています。

忘れられないあの声
大竹昭子

 はじめて稲葉真弓さんにお会いしたのは八十年代初め、忘れもしない新宿のゴールデン街でのことだった。「深夜+ワン」というミステリー作家が来る店の奥に、稲葉さんは編集者や作家に囲まれて座っていた。
 肩まで届くロングヘアーに白いドレス。ペンよりはマイクを握って歌う姿が似合いそうな雰囲気だった。それは彼女の声のせいもあったかもしれない。短く切りそろえた前髪の下あたりから流れ出る低い声が、個性派の歌手を思わせた。
 十代から文学の世界に身を浸してきた稲葉さんとちがい、長いこと何処ともつかない世界をふらふらしていた私の周囲に、小説や詩を書く人はいなかった。稲葉さんは私がナマの姿に接した最初の小説家だった。お姿が深く印象に刻まれたのは、そのせいもあったのだろう。
 その夜は遅くなり、タクシーに同乗して帰宅したが、驚くことに稲葉さんの家は私の実家の目と鼻の先にあった。木立のなかの一軒家で、遊びにいくと作品に漂う仄暗い気配がその家の佇まいと重なり、虚構と現実の見分けがつかなくなった。
 やがて私は実家を離れ、稲葉さんも都心に引っ越され、活躍のご様子を遠くに仰ぎ見るだけの関係になったが、それが変化したのは大震災のときである。恐怖と悲しみに声も出ないような状態になったとき、まずはことばを発することが大切だと思い、知り合いの詩人や作家に声をかけて「ことばのポトラック」という朗読イベントをおこなった。震災からまだ二週足らずの初回のこのとき、稲葉さんは名古屋の実家にいて出演は叶わなかったが、半年後に女性の詩人だけでおこなった舞台に出ていただいた。
 「女詩会」と名付けたこの回は、私が稲葉さんと仕事を通して関わった最初で最後の機会となった。思い出すのは出演者六名とおこなった打ち合わせの場だ。稲葉さんはいつも分銅のような働きをしてくれ、彼女の声が響くと、部活のノリに傾きそうになる気分がきゅっと引き締まるのがわかった。
 「ポトラック」の後、誘ってくれてありがとうというメールが稲葉さんから届いた。お礼を言うべきなのはこちらだったが、詩を書くきっかけを与えられたことを彼女は喜んでくれたのだった。詩は自分にとって特別なもので簡単には書けないけど、死ぬまでにあと一冊詩集を出せたら、とも書かれていた。
 その思いは、今年三月、『ひかりへの旅』を上梓して果たされる。三分の二近くが書き下ろしの詩で、なかなか書けないと言いつつも、書きつづける努力を重ねていたことに感銘した。
 稲葉さんの訃報に接して、あの「女詩会」の朗読シーンが脳裏に浮かんできた。全編を撮ってくれた映像作家の大川景子さんに連絡し、稲葉さんの出演部分を編集して短い映像をつくってもらった。「稲葉真弓さんを偲んで」という題でYouTubeで見ることができる。低いトーンで淡々と読み上げられる言葉の数々が、いま心の洞窟に響きわたっている。