右から志賀理江子さん、堀江敏幸さん、大竹昭子
「ことばのポトラック」はこれまで14回おこなってきましたが、3月11日当日に開催したのは今回がはじめてです。わざわざ選んでそうしたわけではないものの、その日にお迎えするのにこれ以上ふさわしい人はないというゲストにお越しいただけて、とても特別な「ことばのポトラック」になりました。
ゲストにお迎えした志賀理江子さんはイギリスで写真を学び、その後も彼の地に留まり、このままヨーロッパを中心に活動していくだろうと思っていた矢先に、レジデンス・プログラムで帰国した際に仙台郊外の北釜の松林に魅了され、日本をベースにすることを決めました。松林にアトリエを建てたのは2008年11月で、それから2年数ヶ月後に大地震に遭遇。買い物に出ていて命だけは助かったものの、ほかのすべてのものを失いました。
これまで震災について語ったことはないそうで、ご本人も聞く側も緊張し、2011年3月27日の最初の「ポトラック」を思い起こすような空気のなか、スライドを上映しながら志賀さんが2時間ノンストップで語ってくれたのは、震災が自分にどのように影響し、何をもたらしたのかを、自己史も遡りつつ細心の注意を払ってことばを積み重ねた、これまでどこでも見聞きしたことのない「震災体験記」でした。
避難所での人々の様子、仮設住宅での暮らし、被災地に暗躍する政治の動きなどを、例をあげて語りながら宇宙的な視野につなげます。その原点にあるのは、すべての物事が等価になり世界が平たくなった震災の夜の風景だった、といいます。ヒトが生まれる以前の世界を想起させるような光景に彼女は魅せられ、と同時にそのなかからさまざまな価値が「キノコのように」生え、覆い尽くしていったのを目撃したのです。
ライブの場だからと思い切って話されたエピソードも多く、ここで触れることはできませんが、ひとつの話がつぎの話につながり、同心円状に輪のように広がっていくさまが見事でした。彼女の作品に「螺旋海岸」というシリーズがありますが、まさにそのように震災の体験が螺旋状に物語られていったのです。
志賀さんが自宅跡で拾ったという割れた地球儀
志賀さんが震災後に大きな影響を受けたものに、小野和子さんという児童文学者が1970年代にはじめた、「みやぎ民話の会」という民話採集の活動があります。物語は語る人とそれを聞く人の必然によって成り立つことを、志賀さんは小野さんから学びとったといいます。大震災のような既存のことばを超えた出来事に直面したときは、物語にすがるしかない。語りながら乗り越えていくのです。避難所ではブラックなジョークがたくさん飛び交ったそうですが、それは当事者にとって笑うことが切実だからで、もしかしたら、物語に救いをもとめることは、人間だけに許された、もっとも人間らしい行為なのかもしれないと思いました。
「みやぎ民話の会」については、志賀さんと一緒にお越しくださった「せんだいメディアテーク」の清水チナツさんが飛び入り参加でお話してくれましたが、そのなかに小野さんから聞いたという折口信夫のことばがありました。人の家を訪ねて門前で帰ってしまう人を、むかしの人は蔑んだそうです。門の中に入らなくてはならない。入れば訪ねた人は変わることを余儀なくされ、聞く人と語る人が溶け合う濃密な時間が生まれるのだと。
仙台メディアテークの清水チナツさん(左)が飛び入り参加で「宮城みんわの会」について話してくれました
この日、会場には100名の方が集いました。それでも多くの希望者をお断りしなければならなかったのですが、会場に足を運ぶというのは、いわば「門を入る」ことです。そこでは、それまでの自分を横に置き、その場で起きていることを受け入れる「器」にならなくてはいけません。メディアを通じて何かを得るのとは異なる、生身を差し出す行為なのです。
情報が簡単に手に入る現代では、まどろっこしい方法とも言えますが、「ポトラック」の原点はまさにそこにある、と改めて思いました。ふだん意識にのぼってこなくても、記憶として残る濃厚なものを体のどこかに入れておくこと。忘れても、いつかは出てくるかもしれないから、そのことを信じて「器」を満たしておくこと。そのことを肝に命じられたた貴重なひとときでした。(大竹昭子)
写真:サカタトモヤさん