「ことばのポトラックvol.1」 絶賛発売中!

2011年3月11日に起きた東日本大震災から16日後の3月27日、大竹昭子の呼びかけで、サラヴァ東京(東京/渋谷)にてスタートしたことばを持ち寄るこころみ。第一回目には13人の詩人と作家たちが参加して感動的な会になりました。( potluck = 「持ち寄る」)

2023年2月26日日曜日

第17回 ことばのポトラックを開催します!


こちらのイベントはご予約満席となりました!ありがとうございました。

【ことばのポトラック vol.17】

「第17回 ことばのポトラック」を来たる3月21日(祝)におこないます。感染症拡大で延期つづきでしたが、ようやく”10年つづけたい”という思いを果たせそうです。 ゲストは福島県大玉村で藍の栽培を中心にジャンルを超えた活動をしている歓藍社のみなさんです。2011年以降、さまざまな問題が爆発し、ともすると不安と無力感に襲われがちな日々ですが、一堂に集まって顔を見せあうことにより、生きる力を確かめあいたいと思います。

開催日時 2023年3月21日(火、祝日)
     15:30開場 16:00開演 18:00終演(予定)
会場   神保町 ブックカフェ二十世紀 (古書店 アットワンダー2階)
     東京都千代田区神田神保町2-5-4 開拓社ビル2階
     (神保町駅A1出口から右手に徒歩30秒!)
     https://goo.gl/maps/qoFLhxq2yuDjcuhJ6
タイトル 「藍ではじめる~福島県大玉村の試み」
参加料金 1,800円(ワンドリンク付き)
ゲスト  歓藍社メンバー:野内彦太郎(農家)
             林剛平(3.11後の地域学、回遊するヒト)
             佐藤研吾(建築家)
司会進行 大竹昭子 堀江敏幸

▶︎ご予約方法 
メール予約(定員35名/当日ご精算)
「参加ご希望人数/氏名(参加者全員分)/代表者の電話番号」を明記の上、下記アドレスへお申込みください。
kotobanopotoluck@gmail.com (ことばのポトラック運営事務局)
イベントに関するお問い合わせもこちらのアドレスまでお願いいたします。

※イベント収益の一部を歓藍社の活動に寄付いたします。

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【歓藍社メンバーが出演したラジオ番組アーカイブ公開中】

2021年3月に放送されたラジオ番組がYouTubeで試聴可能です。リモート出演していただいた歓藍社メンバーが活動する福島県の大玉村の写真と共にアップしました。イベント当日までにぜひご試聴いただきご来場いただけましたら幸いです。

TOKYO FM 『トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ』
『3.11から10年/藍ではじめる~福島県大玉村の試み』
出演:田中美登里
  ゲスト:大竹昭子(文筆家)
リモート出演:歓藍社メンバー/野内彦太郎(農家)、佐藤研吾(建築家)、林剛平(3.11後の地域学、回遊するヒト)

前篇 https://youtu.be/v5he6HY7XKA
(2021年3月7日(日)04:30 - 05:00 放送分)
後篇 https://youtu.be/Nr3P5V67Jks
(2021年3月14日(日)04:30 - 05:00 放送分)

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《歓藍社のはじまり》
大玉村は安達太良山のふもと、福島第一原発から約50kmの位置にあります。 2011年の原発事故直後、地域の放射能汚染を調査していた林剛平さんは地元の農家、野内彦太郎さんと知り合い、今後、この地域でどんな暮らし方がありうるかを考えるうちに、耕作放棄地を活用して藍の栽培と藍染めをすることを思い立ちます。建築家の佐藤研吾さんもそれに賛同し、歓藍社と名付けて活動を開始。いまでは地域の外からもモノづくりに取り組む若者が集まり、土地と人のあいだに新たな関係を築きつつあります。
http://kanran-sha.net

野内彥太郎(農家 / 1932年 福島県大玉村生まれ)
大玉村にある世帯数30ほどの小姓内集落に生まれ育つ。1950 年代、集落内の農道を拡張し、米作りに関わる作業を共同で取り組むことを発案、意見を取りまとめて実施する。このときに大型農業機械を共同購入。1965年、安積疏水から用水を引き込んで集落内の水田を拡張する。おなじ頃、山の伏流水を集落内に供給する水流システムを造り、水汲みにいかなくても水を得られるようにした。1960年代には集落内に散らばっていた各戸の農地をまとめることをほかの集落に先んじて行い、農業を合理的につづけていく道筋をつけた。1974年より、東北自動車道開通に伴い、安達太良観光サービス(株)の設立とサービスエリアの運営に関わる。
2011年、原発事故による放射能汚染の研究がきっかけで林剛平と知り合い、6年間をかけて水田の放射能調査をおこなう。休耕地で藍を育てることを発案、歓藍社の一員として共に活動をはじめる。

林剛平(3.11後の地域学、回遊するヒト / 1985年 神奈川生まれ)
東日本大地震のとき、私は京都でキノコの研究をしていた。原発事故を受け、農学部で緊急集会を開いて4月に避難の呼びかけに初めて福島に行ったが、呼びかけに応じた人は誰もいなかった。でも、その後、農家の人たちから頼まれて土壌の放射能測定をすることになり、その時に出会った一人が、福島県大玉村の野内彦太郎氏であった。測定結果を報告した後、彼とお茶をのみながら、山水を集落に引いて村で最初の水道を作った話や、農地を整理した話や、地震で崩れた大谷石の壁からピザ窯を作ろうとしていることなどを聞いて深い憧憬を覚えた。
夏に飛騨高山で開催されるモノ作りの私塾、高山建築学校の校主、岡啓輔は、「つくる悦びは、希望を伝播する」と伝えている。野内氏が戦後の激動期をくぐり抜けながら農村で培った実践知と、私の環境放射線生物学という専門知が結びつけば、人間性の恢復や災害リスクを長期的に軽減することができるのではないか。そんな思いから歓藍社は始まった。

佐藤研吾(建築家 / 1989年 神奈川生まれ)
東京で暮らしていた自分がインドと福島に関わり出したのは、震災から2年ほど経った2013年か14年で、ほぼ同時期である。インドには、建築学校の先生として訪れ、その後、その地に自分でも小さな建築学校「In-Field Studio」をつくった。
福島の大玉村では歓藍社として、藍染めと畑仕事を始めた。地面から生え出たような生活実践と工夫の有様を学びたいと思い、東京から通ううちに、藍染めに限らず、木工、鋳造と、自分にも可能な制作を試す拠点になっていった。
ふたつの場所はいま、自分が活動する=生きていくための居場所になっている。インドと福島という離れた二つの土地(東京を含めると三つになる)を行き来することで見えてくる、あるいは見ようとしているものは何なのか。それは、生活にまつわる"技術"の姿であり、人-モノ-場所の在るべき連帯の形なのかもしれない。そんな探求のトライアル=行動の軌跡が、自分にとっての建築だという気がしている。

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